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歴史

インスタントラーメンの歴史

インスタントラーメンの誕生は1958年、第二次世界大戦での敗戦から10余年経った日本でのこと。テレビという新しいマス・メディアが登場し、消費生活が大きく転換し始めていた頃です。安藤百福が作った世界最初のインスタントラーメン「チキンラーメン」は、蒸しためんを味付けして油熱で乾燥する画期的な製品でした。製めん、蒸熱処理、味付け、油揚げ乾燥、というインスタントラーメンの製造工程を工業的に確立し、量産を可能にしたのです。「お湯をかけて2分間」と謳ったこの商品は、「魔法のラーメン」と呼ばれて、爆発的な売れ行きをみせました。


味や品質に対する強い要望に応えて登場したスープ別添タイプのインスタントラーメンは大きな支持を得ました。参入企業が一挙に増え、成長市場での過当競争の中、1964年に日本即席食品工業協会の前身である日本ラーメン工業協会が作られました。日本農林規格 (JAS) の規格を適用し品質の安定に努める一方、消費者にわかりやすい製造年月日の表示に改めました。その後、インスタントラーメンは味の多様化、ノンフライめんに代表される高品質化が進みました。


市場の飽和を打ち破ったのが1971年に発売された「カップヌードル®」です。発泡スチロール製の縦長カップに味付けめんを収納し、凍結乾燥 (フリーズドライ) したエビ、豚肉、卵、野菜などの具を添えた全く新しいインスタントラーメンです。「カップヌードル」は、単にインスタントラーメンが、発泡スチロール製のカップに入っているというだけでなく、加工食品業界に革新をもたらせたのです。その容器は、店頭に並ぶとき包装材となり、ユーザーが湯を注ぐとき調理器具となり、さらに食するときには食器となり、3つの機能を併せ持ちます。まさに新しい発想を体現した加工食品でした。


インスタントラーメンはアジアからアメリカ、ヨーロッパにまで広がり、地球的規模で受け入れられるようになりました。特に、1990年代から途上国での所得水準上昇に伴って急増しています。1990年には150億食程度と推定された年間総需要が、2001年には500億食に達し、2012年には1,000億食を突破しました。市場拡大の理由は、安藤百福氏が開発の目標に掲げた安価、簡便、安全・衛生的、保存性、美味という5原則が国境を越えた普遍的な価値であったことです。さらにはインスタントラーメンが、融通無碍な食品であり、各地域の食材や味付けに馴染み、各国の伝統の味と融合したことも挙げられます。また、消費者の健康意識の高まりを先取りする形で、健康を意識したインスタントラーメンも登場してきました。食物繊維を添加したもの、コラーゲン含有のもの、低カロリーを謳ったもの、減塩を意識したもの等々、色々なインスタントラーメンが発売されました。


インスタントラーメンが急速に発展する情勢の下、安藤百福はかつての日本で生じた過当競争による粗悪品の出現が世界レベルで生じることを危惧しました。そこで、各国の主要メーカーに働きかけ、食品安全のプラットフォームとして創設したのが、「世界ラーメン協会」 (International Ramen Manufacturers Association: IRMA) です。1997年、世界10カ国の主要メーカー10社および1団体が東京に集い設立会合が開かれました。世界ラーメン協会 (IRMA) はインスタントラーメンの品質向上を目指しCODEX規格の策定を主導し、2006年のCODEX総会でインスタントラーメンの世界規格「CODEX Standard for Instant Noodles」が採択されました。


2007年、IRMAは世界のインスタントラーメンメーカーおよびインスタントラーメン関連産業の企業に門戸を開くよう組織改革をしました。それを機に協会の名称を、CODEXの規格名称で使われる「Instant Noodles」に準拠してWorld Instant Noodles Association (WINA) へと変更しました。



©NASA / JAXA
2005年には宇宙食ラーメンが話題となりました。JAXA (宇宙航空研究開発機構) と共同開発されたインスタントラーメンがスペースシャトルに搭載されたのです。軟らかい密閉容器に一口サイズの麺3個とスープ、具材を封入。無重力状態でスープが機内に飛び散らないようにとろみがついています。また、約70℃で湯戻りするよう設計されています。このような特徴は、高齢者にも食べやすく、エネルギー効率も高いです。このようにインスタントラーメンの進化はまだまだ続きます。多くの可能性を持った食品として新たな需要を創出するものと期待されています。

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